夢のあと

アラサー独身女性のひとりごと。思いつき。不定期更新。

お母さん

うちの母は一言でいうと「天然」だ。

天然、という表現にどのような印象を抱くかは人によって違うだろうが、少なくとも私は言われて嬉しいとは思わない。

一昔に「天然女子がモテる」とか「天然と養殖の見分け方」とか天然がもてはやされた時代もあったが、あれはおそらく本当の天然ボケを知らないからだ。

ホンモノは日常生活・社会生活に支障をきたす。

会話がかみ合わないことは毎日だし、財布を落とすことも1回では済まない。結構シャレにならないミスをしてくれるのが天然だ。反対に可愛いレベルのミスなら確実に養殖だ。

 

話しが若干逸れたが、私の母は天然である。

しかし、今日はそんな数多ある面白い(時に笑えない)事件を書くわけではなし、そのためにブログ開設をしたわけでもない。

 

私は、そんな母が大好きだということである。

 

ミスをよくする母なので、人のミスには寛大だったりする。

人に頼った方が楽なこともあるだろうに、基本的には自分でなんとかする。一応、迷惑をかけないように、という気持ちがあるらしい。

だから、家事はほぼ全て一人でしている。それもあまり苦に思うことなくやっている。仕事をしながら、子育てをしながら、一時期は介護もあったのに笑顔を絶やさない。

少なくとも私が子どものときに惣菜や出前といったものを食べた覚えはなかった。

自分の誕生日も私は「お母さんが作った○○が食べたい」と言った。母が作る料理はなんでも美味しい。

私自身が料理苦手だから余計に思うのだが、毎日3食の献立を考え作るのは結構しんどいことだと思う。なのに、母は毎日作ってくれていた。

毎日変わらない手料理と笑顔。

それはつまり、絶対的な安心にもつながる。

最初に述べたように、いろいろ不安要素はもちつつも絶対に裏切らない・変わらない母親像がそこにはある。

そこに皆惹かれ、だからこそ家の外で挑戦でき、家で慰められたりするわけだ。

 

私もそんな超人的な愛をもつ人になりたいと思い、仕事に就き一人暮らしを始め、幾つか恋愛をしてきた。

でもどこかで母のようにはなれないとも思っている。

だって私と母は違うのだから。

それが当たり前だし、それでいいとも頭ではわかっているのだが、深い愛情を惜しみなく出せるあたたかい人間になりたいとも思ってしまう。

 

近くて遠く、似ているようで似ていない、でも憧れる

それが私のお母さん。